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「伊沢蘭軒」軽井沢を行く

朝鮮五味子物語(1)にて、
『・・・蘭軒が朝鮮五味子を「碓氷峠の天産植物」の一つとしてあげていることから、当時から朝鮮五味子が軽井沢(紀行では「軽沢」)の自然の贈り物であったことが伺えます。・・・』
と書きましたが、その部分を説明します。

下記に電子図書のひとつ(世界の古典つまみ食い)から、森鴎外著・「伊沢蘭軒」の”その三十一”を抜粋します。
※朱書きは解説、太字、朱書きアンダーラインは関係個所、いずれも本抜粋にあたって追記したものです。

・・・ その三十一  第五日は文化三年(1806)五月二十三日である。「甘三日卯時に発す。(現群馬県碓氷郡松井田町坂本の坂本宿のこと 注1)を出れば直に碓氷峠のはね石坂なり。上ること廿四丁、蟠廻屈曲して山腹岩角を行く。石塊岏岏大さ牛のごとくなるもの幾百となく路に横り崖に欹つ。時己卯後、残月光曜し山気冷然として膚に透れり。撫院をはじめ諸士歩行せし故、路険に労して背汗濈濈たり。乃撫院衣一ぬぎたり。忽ち岩頭に芭蕉の句碑あり。一つ脱で背中に負ぬ衣更といふ句なり(芭蕉「笈の小文」内の一句 注2)。古人の実境を詠ずる百歳の後合する所あり。四軒茶屋あり。(此まで甘四丁也。)蕨粉餅を売る。妙なり。又上ること一里許、山少くおもむろに石も亦少し。路傍は草莽にて、巓は禿せり。北五味子(此地方言牛葡萄)砂参(鐘草)升麻(白花筆様のもの)劉寄奴(おとぎりさう)蘭草(ふぢばかま、東都は秋中花盛なれども、此地は此節花盛なり。蘭の幽谷に生ずる語証とすべし、世人は幽蘭をもつて真蘭とす。幽蘭いかでかかくのごとき地に生ずべけん)の類至て多し。山中といふ所にいたる。経来し磴路崖谷みな眼下指頭にあり。東南の方ひらけて武蔵下野上野、筑波日光の諸山を望む。今春江戸の回禄せしときも火光を淡紅にあらはせりと、茶店の老婦語れり。日本紀に倭武尊あづまを望れし事あり。此所ならん、又山を紆縈して上る。大仁王の社にいたる。喬木数株あり。一坂こゆれば熊野社(現長野県北佐久郡軽井沢町峠にある熊野皇大神社 注3)なり。社庭に正応五年(1292)の鐘あり、社前に石車輪一隻を造れり。径一尺五六寸なり。往年此村長社前の石階を造りてなれり。名を後世にのこさんことを欲してこのものを造りおけり、乃其家の紋なりと社主かたる。門前に上野信濃国界(現群馬県・長野県県境 注4)の碑あり。半里下山して軽沢の駅(現軽井沢町旧軽井沢 注5)にいたる。蕎麦店に入りて喫するに其清奇いふべからず。しかれども豆漿渋苦惜むべし。一里五丁沓掛駅(現軽井沢町中軽井沢 注6)。浅間岳を間近く望む。此とき巓に雲掩翳して烟見えず。一里三丁追分駅(現軽井沢町追分 注7)。一里十丁小田井駅(現長野県佐久市小田井)。一里七丁岩村田(現長野県佐久市岩村田)なり。駒形明神に詣る。駒形石全く鈴杜烏石の類なり。一里半塩灘駅。大黒屋義左衛門の家に宿す。主人少く学を好む。頃佐藤一斎の侄佐藤梅坡といふもの此に来て教授す。天民大窪酔客も亦来遊すといふ。此日天赫々なれども、山間の駅ゆゑ瘴気冷然たり。行程八里許。」(ここまでは欄干の日記を転記したもの、以下は鴎外の言)碓氷峠の天産植物に言及してゐるのは、蘭軒の本色である。北五味子は南五味子のびなんかづらと区別する称である。砂参は鐘草とあるが、今はつりがねにんじんと云ふ。桔梗科である。つりがねさうは次の升麻と同じく毛茛科に属して、くさぼたんとも云ふ。劉寄奴は今菊科のはんごんさうに当てられ、おとぎりさうは金糸桃科の小連翹に当てられてゐる。蘭軒は前者を斥してゐるのであらう。 ・・・
  • 注1 坂本駅:「その三十」にて、『坂本駅。信濃屋新兵衛の家に宿す。』とある。「峠の釜飯」で有名な信越本線横川駅からしばし西に行ったところだ
  • 注2 ひとつぬいで うしろにおいぬ ころもがえ:「4月朔日は冬から夏への衣更え。家に居れば箪笥から夏物の着物を出して儀式ばった衣更えをするのだが、旅にしあれば上着を一枚脱いで背中に担げば衣更えになる。すべてを捨てた旅人なればこそ気軽に過ごせる衣更えの行事である。」芭蕉DBより・・・いまも碑文は残っているのだろうか?
  • 注3 注4 熊野皇大神社/熊野神社:軽井沢名所のひとつ、県境をまたいで立ち、呼び名が違う。詳しくはこちらを
  • 注5 軽沢の駅:これも軽井沢名所のひとつ、旧軽井沢(地元では軽井沢銀座とも呼ぶ)のこと。沓掛宿、追分宿とともに中仙道の浅間根越しの三宿として交通の要所としてにぎわったという。然るに江戸末期、参勤交代が廃止され、明治17年には碓井新道(現在の国道旧18号線)の開通によって決定的な打撃を受け見る影もなかったところに、ショー・ディクソンという二人の外国人に避暑地として見出され、今の軽井沢につながっている。宿駅当時の面影を残していた「近藤長屋」が新しく結婚式場に代わり、時代はどんどん移っている
  • 注6 沓掛宿(中軽井沢):

(残りは後日追記予定)